ヲシテ・ひとり学会(縄文の旅)

『ホツマツタヱ』を中心とした「ヲシテ文献」の学習記録

『ミカサフミ』:サカノリノアヤ

 『ミカサフミ』2アヤ「サカノリノアヤ」は、『ホツマツタヱ』の2アヤ「アメナナヨトコミキノアヤ」にも、ほぼ同じ内容で記されています。ところが、改めて読んでみますと、立場が違えば書き方も違い、書き方が違えば感じ方も違うと言う良さがある事に気づきます。今回私がこのアヤで一番に感じたのは、「トホコノリ」という言葉でした。この言葉は『ホツマツタヱ』には無く、別の書き方で記されて印象に薄かったのですが、『ミカサフミ』で読めば強く意味が伝わってくるの感じました。

 つまり、「トホコノリ」とは、(命懸けの闘いの任務)を意味する言葉だと思うのですが、「トホコノリ コオトトノウル トコノミキ」と続きますので、「トコノミキ」(結婚式での三々九度)が「トホコノリ」(命懸けの闘い)だと取れます。

 2アヤは、ヤマトの国の成り立ちの書かれたアヤでもありますので、ゆっくりと楽しんで読んでいただきたいと思います。

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ミカサフミサカノリノアヤ

ミ2

サホヒコノ   =「サホヒコ」(ヤマクイ)が

イサワニキケハ =「イサワ」(イサワの宮・伊雑宮)で聞いていた時のお話です。

ワカミヤノ   =「ワカミヤ」(ヲシホミミさん)が

チチヒメメトル =「チチヒメ」を娶られる

ソノトキニ   =その婚儀の時にあたり、

タカギガミキノ =「タカギ」(七代タカミムスヒ)が「ミキ」(神酒)の

アヤコエハ   =造り初めのお話をお聞きしたいと所望しました。

カミノヲシエハ =「アマテルカミ」は次の様に教えて下さいました。

※「サホヒコ」=ヒコイマスの子・タニハミチウシの兄弟とするのは間違いでした。

 

イニシエノ   =大昔のことですが、

アメツチウヒノ =天地は「ウヒ」(生まれたばかりの形のない状態)で

キワナキニ   =まだ、分離していませんでした。

キサシワカルル =そこに兆しが現れて、次第に分離して

アウ   =「アウ」(天の元)の「メ」(冷たくて重い要素)と

         「ヲ」(温かくて軽い要素)ができました。

ハアメトナリ =「ヲ」(温かくて軽い要素)は「アメ」(天)となり、

ヒノワナル   =「ヒノワ」(太陽)が現れました。

ハクニトナリ =「メ」(冷たくて重い要素)は「クニ」(地球)となり、

ツキトナル   =「ツキ」(月)となりました。

 

カミソノナカニ =「カミ」(先祖)がその中に

アレマシテ   =現れまして、

クニトコタチノ =初代の君の「クニトコタチ」が

トコヨクニ   =「トコヨクニ」を建国されました。

ヤモヤクタリノ =(クニトコタチは、)八方に八人の降(くだ)って行った

ミコウミテ   =御子を産んで、

ミナソノクニオ =皆にその国を

ヲサメシム   =治めさせました。

コレクニキミノ =これが、「クニキミ」(国君)の

ハシメナリ   =初めとなりました。

 

ヨツギノカミハ =(それぞれの国での)世継ぎの「カミ」(指導者)は

クニサツチ   =「クニサツチ」と言って、

サキリノミチオ =「サキリノミチ」(開拓の道)を

ウケサレハ   =受けて(元の国を)去り行きましたので、

サツチニヲサム =「サツチ」(赴任地)に於いて新たに国を治める事になりました。

ヤミコカミ   =八人の(クニトコタチの)御子の「カミ」(指導者)は、

オノオノミコオ =各々が御子を

ヰタリウム   =五人ずつ産みました。

 

ヤモノヨツキハ =八方の国を(中央で治める)世継ぎは、

トヨクンヌ   =「トヨクンヌ」と言い、

キミトミタミト =「キミ」(君)「トミ」(臣)「タミ」(民)と(3階級に分け)

タミモミツ   =更に「タミ」も3つに

ワサワケヲサム =仕事の内容で分ける制度を作りました。

ミクタリノ   =3つの階級を設けた事により、

カミハモフソノ =「カミ」(トヨクンヌ)には、(8XX3=)120人

ミコアリテ   =「ミコ」(御子・部下)がありました。

アメナルミチハ =しかしながら、「アメナルミチ」(朝廷の制度)には、

モアラス   =「メ」(后)を娶るという決まりはありませんでした。

ミツヨヲサマル =こうして、3世代までが治まっていました。

 

マサカキノ   =マサカキ暦で

ウエツキヰモニ =植え継ぎが500

ミツルコロ   =満ちようとする頃

ヨツギノヲカミ =世継ぎの「ヲカミ」(男性のカミ)の

ウヒチニノ   =「ウヒチニ」は、

スヒチオイルル =「スヒチニ」を后に入れるという

サイアヒノ   =「サイアヒ」(縁結びの儀式)を行いました。

 

ソノモトオリハ =その起源となったのは、

コシクニノ   =「コシクニ」(越の国・福井県越前市平吹町)の

ヒナルノタケノ =「ヒナルノタケ」(日野山)の

カンミヤニ   =「カンミヤ」(日野神社:福井県越前市中平吹町)に

キノミオモチテ =「キノミ」(桃の実)を持って

アレマセハ   =結納式を行った事で、その際に

ニワニウエオク =庭に種を植えおいて(行く末を占った)のでした。

 

ミトセノチ   =3年後の

ヤヨイノミカニ =旧暦の3月3日

ハナモミモ   =見事に花が咲き、後に実となる花ですので、

モモナルユエニ =の実が成ると言うことから、

モモノハナ   =「モモノハナ」(百の花・桃の花)という名前になりました。

フタカミノナモ =縁組をする「フタカミ」(ウヒチニ・スヒチニ)の名も

モモヒナギ   =「モモヒナギ」と

モモヒナミナリ =「モモヒナミ」となりました。

 

ヒナハマダ   =「ヒナ」(1~7)とは、まだ

ヒトナルマエヨ =「ヒト」(1~10・一人前)になる前だと言う意味です。

キミハソノ   =「キ・ミ」(君)とは、桃の

キノミニヨリテ =「キノミ」(木の実)という事から、

ヲカミハキ   =男カミは「キ」(木)

メカミハミトソ =女カミは「ミ」(実)と、

ナツケマス   =名付けました。

 

ヒトナルノチニ =(正式な縁組が決まり)「ヒト」(一人前)になった後に、

ヤヨイミカ   =旧暦3月3日の事、

ミキツクリソメ =「ミキ」(お酒)を造り初めて

タテマツル   =(式典の為に)奉りました。

モモトニクメル =桃の元に酒を酌むと

ミキニツキ   =その「ミキ」(お酒)に三日月が

ウツリススムル =映り、勧め合いました。

メカミマツ   =女カミが先ず、

ノミテススムル =飲んで(男カミに)勧め、

ノチヲカミ   =後に男カミが

ノミテマシワル =飲んで、男女が交わるのが

トコノミキ   =「トコノミキ」の儀式です。

 

ミアツケレハヤ =(お二人は)体が熱かったので、

アスミアサ   =翌三日目の朝、

サムカワアヒル =「サムカワ」(日野川)で水浴びをしました。

ソテヒチテ   =お互いに、水で袖が濡れたのですが、

ウスノニココロ =「ウ」(多く濡れた男カミ)と(少なく濡れた女カミ)の優しい心遣いが

マタキトテ   =全く素晴らしかったので、

ナモウヒチニト =名も「ウヒチニ」と

スヒチニト   =「スヒチニ」と名付けられました。

コレモウヒニル =これも「ウヒニル」(男カミが優しさで多く濡れる)という

フルコトヤ   =結婚式の儀式にまつわる「フルコト」(故事)となりました。

※結婚式の儀式の一つとして、「水祝い」というものがあるそうです。ウィキペディアには継ぎの様に書かれていました。

 水祝い(みずいわい)は、日本の風習で、婚礼の際に[1]、または結婚後最初の正月に、新郎または新婦または新郎新婦に水を浴びせかける民俗儀礼。ほとんど全国的に行われていた。

 この様に、私も九州の方では今も「水祝い」が行われているという話も聞いた事がありますが、理由はよく分かっていない様です。ここに書かれている「ウヒニルフルコト」が起源になっているのかも知れませんね。

 

オオキスクナキ =多き少なきという

ウスノナモ   =「ウ・ス」(大・小)の名も

コノヒナカタオ =この「ヒナカタ」(雛形)を用いて(衣装の名に付けられました。)

ヲハカムリ   =「ヲ」(男カミ)は「カムリ」(冠)を被り

ウオソテハカマ =「ウ・オソデ」(大きな袖)を着て「ハカマ」(袴)を履きます。

メハコソテ   =「メ」(女カミ)は「コ・ソテ」(小袖)を着て

ウワカツキナリ =「ウワカツキ」(上被衣)を被る事になりました。

 

コノトキニ   =この最初の婚儀がなされた時に

ミナツマイレテ =皆が妻を入れて以来、

ヤソツツキ   =先祖代々続けられる事になりました。

モロタミモミナ =諸民も皆、

ツマサタム   =妻を定めました。

アメナルミチノ =こうして、「アメナルミチ」(朝廷が定めた結婚制度)が

ソナワリテ   =備わって、

タクイナルヨリ =「タクイ」(親族)が形成されて行きました。

トシカソエ   =それから(新たに)年が数えられる事になり、

ヰモツキアマノ =500継ぎ目が行われて、新たな「アマノ

マサカキヤ   =マサカキ」(クニトコタチから続くマサカキ)になりました。

※マサカキの木は、クニトコタチさんの時代に、ヒタカミへも分けて植えられました。ヒタカミではゆっくり成長しましたが、トコヨの方では随分と早く植え継ぎがされて四代目には500本が終わってヨロトシを迎え、尽きてしまった様です。ここには書かれていませんが、ヒタカミの苗を貰って植え、暦を統一することになったと『ホツマツタヱ』には書かれていました。結婚の制度が出来たのは、正しく新たな時代の始まりだったという訳ですね。

 

ヰツヨノカミハ =五代目の「カミ」(指導者)は

オオトノチ   =「オオトノチ」

オオトマエナリ =「オオトマエ」でした。

ツノクイハ   =(男カミの)「ツノクイ」は

オオトノニイテ =「オオトノ」(大殿)に居て

イククイオ   =(女カミの)「イククイ」を

トマエニアヒミ =「ト」(戸・契約の場)の前に会い見て

ツマトナス   =妻としました。

カレヲハトノソ =ですから、「ヲ」(男カミ)は「トノ」(殿)と言い、

メハマエト   =「メ」(女カミ)は「マエ」(前)と

ヤモツツキマテ =先祖代々言う様になったのです。

 

ムヨノツギ   =六代目を継いだ

オモタルノカミ =「オモタル」のカミは、

カシコネト   =「カシコネ」と(夫婦になり)、

ヤモオメクリテ =八方を巡って

タミオタス   =タミを助けました。

ヲウミアツミノ =「ヲウミ」(近江)「アツミ」(安曇川)を

ナカハシラ   =「ナカハシラ」(政治の中心)として、

ヒカシハヤマト =東は「ヤマト」(関東)

ヒタカミモ   =「ヒタカミ」(東北)も、

ニシハツクシノ =西は「ツクシ」(九州)、

アシハラモ   =「アシハラ」(中国地方)も、

ミナミアハソサ =南は「アハ」(四国)「ソサ」(紀州)

キタハネノ   =北は「ネ」(北陸)を中心として、

ヤマトサホコノ =「ヤマト」(奈良?)「サホコ」(出雲)の

チタルマテ   =「チタル」(山陰?)まで、

オヨヘトモヨホ =及べど百万年もの間

ツギコナク   =継ぎ子が無く、

ミチオトロヒテ =「ミチ」(法道徳)が衰えて

ワイタメナ   =「ワイタメ」(社会秩序)が乱れてしまいました。

 

トキニアメヨリ =そんな危機的な時に、「アメ」(朝廷)より

フタカミニ   =「フタカミ」(イサナギ・イサナミさん)に白羽の矢が立てられ、

ツホハアシワラ =「「ツホ」(中心となる都)は「アシワラ」(琵琶湖西岸)とし、

チヰモアキ   =そこには千五百の豊かな村があります。

イマシモチヒテ =貴方達二人がその地を用いて、

シラセトテ   =治めなさい」と言って

トトホコタマフ =「ト」(勾玉・トのヲシテ)と「ホコ」(矛)を賜りました。

フタカミハ   =「フタカミ」(イサナギ・イサナミさん)は、

ウキハシノヱニ =「ウキハシノヱ」(遠い先祖からの縁組)に夫婦となり、

サクリウル   =(浮き橋の上から)宮となる良い場所を探りました。

ホコノシツクノ =「ホコノシツク」(矛の雫・人を斬る事)が

オノコロニ   =「オノコロ」(落ちて固まった所・収まってきた頃)に

ミヤトノツクリ =「ミヤトノ」(宮殿・日吉大社)を造られ、遂には

オオヤマト   =「オオヤマト」(大きなヤマトの国)とされました。

ヨロモノウミテ =(産業の為の)様々な道具を生み出して、

ヒトクサノ   =人々の為に

ミケモコガイモ =「ミケ」(食糧)の生産方法も「コガイ」(養蚕)の

ミチナシテ   =方法も確立して、

ワイタメサタム =「ワイタメ」(社会秩序)を定めると言う

イサオシヤ   =立派な功績を立てられました。

 

アメノカミヨリ =「アメノカミ」(クニトコタチさん)より受け継ぐ

フタカミノ   =「フタカミ」(イサナギ・イサナミさん)の

ナナヨノミキモ =七代目の婚儀の「ミキ」(お酒)も

トホコノリ   =「トホコノリ」(勾玉と矛の詔の様に大変に厳しい詔)でした。

コオトトノフル =「コ」(子孫)を整えると言う事が(絶対に重要な事で)

トコミキノ   =「トコミキ」(国を守るために子を産む事を誓うお酒)の

ノリモテイワフ =「ノリ」(詔)を持って祝います。

 

コノサケハ   =「コ」(子・固)の酒は、

トコヨイノクチ =「トコヨ」(建国の地・高島市)「イノクチ」(井口神社: 滋賀県高島市)

ヤマカケノ   =「ヤマカケ」(日置神社?: 滋賀県高島市今津町酒波)の

スクナミカミノ =「スクナミカミ」(スヒチニの父か先祖?)が、

タケカフニ   =竹株に

トリノツイハム =鳥がお米を啄む

コレオミテ   =ところを見て、

ハシメテツクリ =初めて造ったものです。

カレササケ   =ですから、「ササケ」(笹の酒)として献上し、

ヤヨイミカモテ =旧暦の3月3日に因んで、

ココノクミ   =「ココノクミ」(三々九度・子固の来身)にて飲むのです。

 

マタシホリサケ =また、「シホリサケ」(搾り酒・濃い酒)とは

ソサノヲノ   =「ソサノヲ」が、

イツモニハシメ =出雲の大蛇退治の際に初めて

ツクルコレナリ =造った酒になります。

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(以上です)

 1アヤの「キツヨヂのアヤ」に続いて、2アヤ「サカノリのアヤ」でした。1アヤ、2アヤは、やはり最初の箇所ですので一番重要なアヤの筈ですが、「サカノリノアヤ」は結婚式のお酒のお話ですので、楽しいお話ではありますが、何故に1アヤの「キツヨヂ」(天地の恵みの話)に継いで大切なのか?と不思議な気さえしました。

 その答えは、最後まで読んで気づきましたが、結婚式のお酒である「トコミキ」にも「トホコノリ」(トと矛の詔)と同様の重さがあったという事ですね!!(◎_◎;) 六代の「オモタル」「カシコネ」さんの時代に、お二人はタミを助ける仕事を日本中を巡ってなされました。しかし、継ぎ子が産まれないばかりに国の秩序が乱れ、国の存在が危機的になりました。七代目のイサナギイサナミさんの時代にはその様な惨事にならない為にも、お酒で気持ちをほぐして明るい気持ちになり、良い後継ぎを産む事が、想像以上に大切だと言う事ですね!

 現代に生きる我々も、時には楽しいお酒を飲んで、明るく過ごして行きたいものです!次回は「ヒヒメミヲウムトノノアヤ」です。次回もお楽しみに、ではまた。