今回からはいよいよ『ミカサフミ』に入ります。年度が変わって用事も多くて今回は少し遅れましたが、今日から始めたいと思います。\(^-^)/
最初は『ミカサフミ』の序文です。先日の池田先生の講習会でのお話にもありましたが、『ホツマツタヱ』を40アヤまで通してやってきましたので、序文が分かりやすく感じます。
読み直して改めて感じたのは、『カクノミハタ』『ミカサフミ』『ホツマツタヱ』の三書が成立した元となったのは、「ヤマトタケ」さんの「ノコシフミ」(遺し文)にあったのだという事です。そして、驚くべきはこの序文で述べられている時の「ヲオカシマ」さんの年齢は247歳、「タタネコ」さんは234歳と、現代では考えられない様な年齢だと言うことです。世に残すべき仕事がある方の年齢は、飛躍的に伸びるのでしょうか?
不思議がいっぱいで、まだまだ知られていない古代の日本を少しずつ読み解いて行きたいと思います。それでは、始めます。( ^ω^ )♪
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ミ0-1(10788)
クニナツガノフ =「クニナツ」(ヲオカシマ)による『ミカサフミ』の序言
カミガヨノ =上代の
トホコノミチモ =「ト」(トの教え・憲法)と「ホコ」(矛・武力制裁)で治めた道も
ヤヤサカフ =かなり遠い時代の事となり、
カレオヲサムル =「カレ」(治世の退廃)を収めたのが
ヤマトタケ =「ヤマトタケ」さんでした。ところが(残念な事に、病に倒れ)
カミニカエサノ =「カミ」(天界)に帰る際に
ノコシフミ =「遺し文」を染めておかれました。
キミハミハタオ =(その遺し文に従い)景行天皇は「ミハタ」(カクノミハタ)を
ソメマセハ =染められましたので、
トミモミカサノ =「トミ」(クニナツ)も「ミカサノ
フミオソム =フミ」(御笠文)を染めさせて頂きました。
ヲオタタネコモ =すると、「ヲオタタネコ」も同様に
ホツマフミ =『ホツマフミ』(ホツマツタヱ)を
ソメササクレハ =染めて献上しました。すると景行天皇は、
ミクサノリ =「三つの文を合わせて『ミクサノリ』(三種典)とし、
ソナフタカラト =これを国に備えておくべき宝とします」と
ミコトノリ =詔をされるのでした。
シカレトカミヨ =しかしながら、上代と
ヰマノヨト =今の世とでは
コトハタガエハ =言葉が違うので
ミチサカル =「ミチ」(道理・教義)も隔たっています。
コレモロイヱノ =これは、諸々の家の
ツタエフミ =「ツタエフミ」(家伝書)にもある事と思いますが、
イマノテニハニ =今の「テニハ」(助詞・文法)に
ナツラエテ =合う様に考え直して、
カタチトワサト =「カタチ」(伝統)と「ワサ」(技術)と
ソノアヂオ =その「アヂ」(意味)を
トクトヱサレハ =しっかりと理解しておかなければ、
ミチノクオ =「ミチノク」(奥の深い意味)を外して、
ユキタガフカト =行き違えてしまうのではないかと、
オソルノミナリ =怖れるばかりです。
マキムキノ =「マキムキ」(纒向)の
ヒシロノヰソム =「ヒシロ」(日代)の(景行)56年
トシツミヱ =「ツミヱ」の年
ホツミハツヒニ =8月1日に
ミカサトミ =「ミカサトミ」(御蓋のトミ)で
イセノカンヲミ =伊勢神宮の「カンヲミ」(神主)の
ヲオカシマ =「ヲオカシマ」(クニナツ)が
フモヨソナトシ =247歳にて
ササクハナヲシ =「ハナヲシ」(花押)を捧げます。
ここで、「ハナヲシ」を(花押)としましたのは、花押があったのかどうか?は分かりませんが、写本の通りにあった可能性もあると思ってそのままにしました。この『ミカサフミ』が纏められたのは、西暦の5世紀頃の事ですので、漢字が既にある程度伝わっていたとも考えられます。公用文書は「ヲシテ」文字を用いて書かれたにしても、漢字風の花押はあったのかも知れません。想像の域を出ない話ではあると思います。
ミカサフミ =『ミカサフミ』(御蓋文)の
ササケタマフオ =奉呈に際して
ミワノトミ =「ミワノトミ」(ヲオタタネコ殿)に
ミチホメイワク =祝辞を頂きました。
(ヲオタタネコの祝辞)
アメツチモ =「天地も
ヒラケテカミモ =開けて来た時に、「カミ」(アメミヲヤ)が
メヲモワケ =「メヲ」(冷・温)も分けられ、
ヒモツキモナリ =次には、日も月も現れました。
コヨノホシ =天には「コヨノホシ」(命と天の巡りを司る9つの星)
アメトコタチト =つまり、「アメトコタチ」のカミと
ワノソヒモ =「ワノソヒ」(地上の生命体を司る11の星)
アシガヒヒコヂ =つまり、「アシガヒヒコヂ」のカミも見守られます。
トコタチノ =「クニトコタチ」から(クニサツチ、トヨクンヌまで)の
ミヨハミホカミ =三世は「ミホカミ」(三穂のカミ)で(独りカミ)、
フタハシラ =(次の4代からは)「フタハシラ」(二柱の夫婦カミ)で、
マツルトホコノ =(7代のフタカミからは)「ト・ホコ」(トのヲシテと矛)を祀る
ミチアレト =「ミチ」(国家の制度)になりましたが、
アマテルカミノ =それに、「アマテルカミ」が
ヤタカガミ =「ヤタカガミ」(八咫鏡)を
ツクリミクサノ =作って足され、「ミクサノ
カンタカラ =カンタカラ」(三種の神宝)となりました。
アメノミマコニ =その後、「アマテルカミ」のお孫の「ニニキネ」さんに
トオサツケ =「ト」(トのヲシテ)を授けて
ヤマトヲサムル =「ヤマト」を治めて貰う事になりましたが、
ミカガミハ =「カガミ」(八咫鏡)は
コヤネニサツク =「アマノコヤネ」に授けて(力を合わせるのが)
カミノムネ =「アマテルカミ」のご意向でした。
ホコノミナモト =「ホコ」(矛)の「ミナモト」(最初に授けた先)は
ヲコノカミ =「ヲコノカミ」(クシヒコさん)でした。
シカレトミチモ =しかしながら、「ミチ」(国家の制度)も
モロイヱニ =諸々の家に(それぞれの考えがあり)
ツカサタガエハ =司が違えば(異なってくる様に)
ホツマフミ =『ホツマフミ』(ホツマツタヱ)も
アラワストキニ =書き記(しる)す時に(違いが生じて来ています。)
アツタカミ =そこで、「アツタカミ」(ヤマトタケ)が(亡くなる前に)
ツケテキミニハ =この状況を告げて、君には
カクミハタ =「カクミハタ」の(新たな編集に)
ヲサセタマヘハ =取り組む様に願われたので、
カガミトミ =「カガミトミ」(ヲオカシマ)も
フモトヤシロノ =「フモトヤシロノ
フミササク =フミ」(御笠文)を捧げる次第になりました。
ワレモアクレハ =私も奉呈しますと、
ミコトノリ =(景行天皇から)詔をいただきました。
ミクサノミチノ =つまり、「(ヤマトタケの願いが叶い)三種の道が
ソナワリテ =備わって、(これから先の国の安泰を思うと)
サチヱルイマト =今やっと、幸福な気持ちになりました。」と
ノタマエハ =仰いましたのです。
オノオノミヲヤ =(こうして、やっと三種の道が整いましたので)各々が御祖を
マツルヘシ =(大切に)御祀りして頂きたいと思います。
ホスエサカエル =子々孫々に栄える
ソノミチハ =その道を伝えるのは
ミカサフミナリ =この『ミカサフミ』(御笠文)であります。
アマテラス =「アマテラス
カミヨリサツク =カミ」(天照大神)より授かりました、
ミチノクノ =「ミチノクノ
フミウヤマイテ =フミ」(カクノミハタ)を敬いつつ、
トモニササケツ =(私も『ホツマツタヱ』を)共に捧げるものであります。
ヲオミワノ =「ヲオミワ」(大三輪)の
タタネコガトシ =「ヲオタタネコ」の歳、
フモミソヨ =234歳の時に
ツツシミノヘテ =(祝辞を)謹み述べて
ソエルハナヲシ =ここに「ハナヲシ」(花押)を添えます。
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(以上)
『ミカサフミ』の序言では、「クニナツ」(ヲオカシマ)さんの後に「スエトシ」(ヲオタタネコ)さんが祝辞を述べておられます。皇室の『カクノミハタ』と共にお二人が、それぞれに『ミカサフミ』と『ホツマツタヱ』を献上された事が分かりますね。この『ミカサフミ』をよく読んで、後々の世までも先祖を敬って頂きたいとの「ヲオタタネコ」さんのお気持ちが伝わってきます。
残念なことに、『ミカサフミ』の方は8アヤまでしか見つかってはいないのですが、発見された文献をしっかりと読んで、深い意味を汲み取って行きたいと思います。ではまた。