『ホツマツタヱ』を終えてから、次は何処へ行くのか?考えているうちにも、『ミカサフミ』の最初からという事でしたので、先ずは「奉呈文」を読んでみました。「ヲシテ文献」も毎日少しずつでも読み続ける事が大切で、繰り返し読み直す事によって、次第に文章の流れが分かってくるものだと思います。(^^)
ですから、「奉呈文」も最初に書かれている序文ではありますが、全体が分からないと意外に難しいので、読み始めた頃は本当に分かりませんでした。私も全体を読み終えて、やっと何とか分かる様になったところです。(⌒-⌒; )これからも、怪しいながらも少しずつ理解して行きたいと思っています。
ただ、今回は『ミカサフミ』の奉呈文を読み直して気づいたこともあって、「ミクサノミチ」(『カクノミハタ』・『ミカサフミ』・『ホツマツタヱ』)が揃って書かれる事になった経緯(いきさつ)については、「アツタノカミ」(ヤマトタケさん)の「ツゲ」(告げ)があったと書かれていました。これは『ホツマツタヱ』の何処に書かれていたのかな?と思います。考えられるのは次の箇所です。
ホ40-15(10454)
コイネガワクハ
イツノヒカ ミコトカエサン
ノニフシテ タレトカタラン
ここの箇所は、私もよく分かりませんでしたので、ここに「ヤマトタケ」さんの景行天皇への訴えがあったのか?とも思います。また読み込むうちに気づけるかもしれません。(^人^)というわけで、『ミカサフミ』の奉呈文の対訳をしてみたいと思います。
ミ0-1(10788)
クニナツガノフ =「クニナツ」(ヲオカシマ)による序文
カミガヨノ =上代の
トホコノミチモ =「ト」(トの教え・憲法)と「ホコ」(矛・武力制裁)で治めた道も
ヤヤサカフ =かなり遠くなり、
カレオヲサムル =その「カレ」(治世の退廃)を治めたのが
ヤマトタケ =「ヤマトタケ」さんでしたが、(残念な事に、病に倒れ)
カミニカエサノ =「カミ」(天界)に帰る際に
ノコシフミ =「遺し文」を染めておかれました。
キミハミハタオ =(その遺し文に従い)景行天皇は「ミハタ」(カクノミハタ)を
ソメマセハ =染められましたので、
トミモミカサノ =「トミ」(クニナツ)も「ミカサノ
フミオソム =フミ」(御笠文)を染めさせて頂きました。
ヲオタタネコモ =すると、「ヲオタタネコ」も同様に
ホツマフミ =『ホツマフミ』(ホツマツタヱ)を
ソメササクレハ =染めて献上しましたので、
ミクサノリ =三つの文を合わせて『ミクサノリ』(三種典)となりました。
ソナフタカラト =(景行天皇は)「備えておくべき宝とします」と
ミコトノリ =詔をされるのでした。
シカレトカミヨ =しかしながら、上代と
ヰマノヨト =今の世とでは
コトハタガエハ =「コトハ」(言葉)が違うので
ミチサカル =「ミチ」(道理・教義)も隔たって来ています。
コレモロイヱノ =これは、諸々の家の
ツタエフミ =「ツタエフミ」(家伝書)にありがちな事ですが、
イマノテニハニ =今の「テニハ」(助詞・文法)に
ナツラエテ =合う様に考え直して、
カタチトワサト =「カタチ」(文型)と「ワサ」(技法)と
ソノアヂオ =その「アヂ」(意味)を
トクトヱサレハ =しっかりと理解しなければ、
ミチノクオ =「ミチノク」(奥の深い意味)を外して、
ユキタガフカト =行き違えてしまうのではないかと、
オソルノミナリ =怖れるばかりです。
マキムキノ =「マキムキ」(纒向)の
ヒシロノヰソム =「ヒシロ」(日代)の(景行)56年
トシツミヱ =「ツミヱ」の年
ホツミハツヒニ =8月1日に
ミカサトミ =「ミカサトミ」(御蓋のトミ)で
イセノカンヲミ =伊勢神宮の「カンヲミ」(神主)の
ヲオカシマ =「ヲオカシマ」(クニナツ)が
フモヨソナトシ =247歳にて
ササクハナヲシ =「ハナヲシ」(花押)を捧げます。
(ヲオタタネコの祝辞)
ミカサフミ =「ミカサフミ」(御蓋文)の
ササケタマフオ =奉呈に際して
ミワノトミ =「ミワノトミ」(ヲオタタネコ)が
ミチホメイワク =祝辞を申し上げます。
アメツチモ =「天地も
ヒラケテカミモ =開けて来た時に、「カミ」(アメミヲヤ)が
メヲモワケ =「メヲ」(冷・温)も分けられ、
ヒモツキモナリ =日も月も現れました。
コヨノホシ =天には「コヨノホシ」(命と天の巡りを司る9つの星)
アメトコタチト =つまり、「アメトコタチ」のカミと
ワノソヒモ =「ワノソヒ」(地上の生命体を司る11の星)
アシガヒヒコヂ =「アシガヒヒコヂ」のカミも見守って下さる様になりました。
トコタチノ =「クニトコタチ」から(クニサツチ、トヨクンヌまで)の
ミヨハミホカミ =三世は「ミホカミ」(三穂のカミ・三柱の独りカミ)、
フタハシラ =次の世からは、「フタハシラ」(二柱の夫婦カミ)、
マツルトホコノ =(フタカミからは)「ト・ホコ」(トのヲシテと矛)を祀る
ミチアレト =「ミチ」(国家の制度)になりましたが、
アマテルカミノ =(それに加えて、)「アマテルカミ」が
ヤタカガミ =「ヤタカガミ」(八咫鏡)を
ツクリミクサノ =作られ、「ミクサノ
カンタカラ =カンタカラ」(三種の神宝)となりました。
アメノミマコニ =その後、「アマテルカミ」のお孫(ニニキネさん)に
トオサツケ =「ト」(トのヲシテ)を授けて
ヤマトヲサムル =「ヤマト」を治めて貰う事になりましたが、
ミカガミハ =「カガミ」(八咫鏡)は(別けて)
コヤネニサツク =「アマノコヤネ」に授け(力を合わせるのが)
カミノムネ =「アマテルカミ」のご意向でした。
ホコノミナモト =「ホコ」(矛)の「ミナモト」(授けた先)は
ヲコノカミ =「ヲコノカミ」(クシヒコ)で、こうして国の体制が整いました。
シカレトミチモ =しかしながら、「ミチ」(家宝の書物)も
モロイヱニ =諸々の家に(それぞれの考えがあり)
ツカサタガエハ =司が違えば(家風も異なってくる様に)
ホツマフミ =『ホツマフミ』(ホツマツタヱ)も
アラワストキニ =書き記(しる)す際に、(違いが生じて来ていました。)
アツタカミ =そこで、「アツタカミ」(ヤマトタケ)が(亡くなる前に)
ツケテキミニハ =この状況を告げて、君には
カクミハタ =「カクミハタ」の(新たな編集に)
ヲサセタマヘハ =取り組む様に願われると、
カガミトミ =「カガミトミ」(ヲオカシマさん)も
フモトヤシロノ =「フモトヤシロノ
フミササク =フミ」(ミカサフミ)を捧げられました。
ワレモアクレハ =私も(ホツマツタヱを)奉呈しますと、
ミコトノリ =(景行天皇からの)詔をいただきました。
ミクサノミチノ =「(ヤマトタケの願いにより)三種の道が
ソナワリテ =備わって、(これからの国の安泰を思うと)
サチヱルイマト =今やっと、幸福な気持ちになりました。」と
ノタマエハ =仰いました。
オノオノミヲヤ =(この様に大恩を受けていますので)各々が御祖を
マツルヘシ =(大切に)御祀りして下さい。
ホスエサカエル =子々孫々に栄える
ソノミチハ =その道を伝えるのは
ミカサフミナリ =この『ミカサフミ』(御笠文)であります。
アマテラス =私は、「アマテラス
カミヨリサツク =カミ」(天照大神)より授かりました、
ミチノクノ =「ミチノクノ
フミウヤマイテ =フミ」(カクノミハタ)を敬って
トモニササケツ =(『ホツマツタヱ』を)共に捧げるものであります。
ヲオミワノ =「ヲオミワ」(大三輪)の
タタネコガトシ =「ヲオタタネコ」の歳
フモミソヨ =234歳、
ツツシミノヘテ =謹んで(祝辞を)述べて
ソエルハナヲシ =「ハナヲシ」(花押)を添えます。
以上、『ミカサフミ』の奉呈文を対訳してみましたが、最後の「ハナヲシ」というものが、現在の残る「花押」であるのかどうか?という事については、疑問が残ります。因みに、『ホツマツタヱ』の奉呈文に「ハナヲシ」(花押)の書かれている箇所をアップしてみました。
最後に、「クニナヅ」と「ハナヲシ」(花押)が書かれているのが分かります。後の時代の創作であったという疑いもありますが、現在のところの私は、この様な「ハナヲシ」であったように思っています。また、添える文章そのものが「ハナヲシ」であった事も考えられますが、やはり最後に何かの印を添えた様に思えます。「ヲシテ文献」を代々伝える大切な役割をしている人達が、創作を加えることも考えにくいので、写本の通りの「花押」があったように感じているところです。また、ご意見をお聞かせくだされば幸いです。ではまた。