本日は、「オオヒコ」(大彦)の孫の「イワカ」(磐鹿)が、御祭神として祭られている神社を探したと言うお話をさせて頂きます。
40アヤ(後半)の最後の話を読んで以来、私は「オオヒコ」(大彦)の孫の「イワカ」(磐鹿)が獅子舞を広めた功績の大きさを考える様になりました。飛騨神岡の「大津神社」での盛大な獅子舞を見ると、何故に「イワカ」の名前が御祭神に残ってないのだろう?と言う思いが募ったからです。
そこで、何処かの神社に「イワカ」という名の御祭神が残っているのではないか?と検索してみました。すると、早速ありました!\(^-^)/千葉県南房総市の「高家神社」(たかべじんじゃ)と出て来ます。
https://takabejinja.com/s/goyuisho.html
御祭神は、「磐鹿六雁命」(いわか・むつかりのみこと)(尊称:「高倍神」たかべのかみ)
この神社の御由緒は、次の様に書かれていました。
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「日本書紀」の第12代景行天皇53年冬10月の条に祭神・磐鹿六雁命について記されていますが、延暦8年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」(うじぶみ)にさらに詳細に記述されています。
景行天皇が皇子日本武尊(やまとたける)の東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦つるをとり海に入れた所堅魚(かつお)を釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤(しろうむぎ)(=はまぐり)がとれました。磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾(なます)にして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部(かしわでのおおともべ)を賜りました。
この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳(かしわで)の職を継ぎ、もし世継ぎのないときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜りました。
また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院(ひしおつかさ)で醤油醸造・調味料の神として祀られています。醤には、野菜を発酵させた草醤(くさびしお)、穀物を発酵させた穀醤(こくびしお)、魚などを発酵させた肉醤(にくびしお)があった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁です。
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成る程成る程!これは、「オホヒコノマコ イワカナリ」の前の箇所で、「ムツカリ」が「ウムギ」(蛤)を膾(なます)にして景行天皇に差し出し、「カシハトモベ」の役職を賜った事が由緒となっている神社だと言う事になりますね。
その「ムツカリ」と「イワカ」が一緒になって、(いわか・むつかり)「磐鹿六雁命」という御祭神の名になって残っている様です。しかしながら、これは『日本書紀』を元にした御祭神名で、『ホツマツタヱ』を正確に読み取ると、「いわか」と「むつかり」は別人物に思えます。『ホツマツタヱ』の記述を見てみましょう。
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ホ40-89(10748)
アホノハマ =「アホ」(安房)の浜に到着しました。
ミサコヱハムオ =そこで、「ミサコ」(鶚)が餌を食べるの見られて
タミニトフ =(何を食べているのですかと)タミに問われると、
アレハウムギト =「あれは「ウムギ」(蛤)を食べているのです」と答えました。
シツカハム =(その会話を聞いて)「「シツ」(下民)の食べ物ですが、
ナマスモヨシト =「ナマス」(刺身)にしても美味しいのですよ」と言って、
ムツカリガ =(従者の)「ムツカリ」が、
カマタスキシテ =「カマタスキ」(蒲襷)をして
トルウムギ =「ウムギ」(蛤)を捕ってきてくれました。
ナマスニナシテ =早速「ナマス」(刺身)にして
ススムレハ =お勧めすると(景行天皇は、その美味しさに喜ばれて)
カシハトモヘト =「カシハトモヘ」(膳部の伴部)と
ナオタマフ =(ムツカリに)褒め名を賜りました。
ーーーーーー(ここから話が変わる)ーーーーー
オホヒコノマコ =(景行天皇の付き人として)「オホヒコ」の孫の
イワカナリ =「イワカ」がお供をしていました。
カシマカクラノ =(イワカが)「カシマカクラ」(鹿島神楽)の
シシマイオ =「シシマイ」(獅子舞)についてを
トエハトキヒコ =尋ねますと、「カトリ・トキヒコ」が答えました。
コレムカシ =「これは昔のことですが、
イヨニワタリテ =「イヨ」(伊予)に渡って
シシハムオ =「シシ」(猪)が(農作物を)食べ荒らしていたのを
ツチキミトリテ =「ツチキミ」(サルタヒコ)が捕獲した事がありました。
タテマツル =(その様子を舞にして)君の前に奉ったのです。
キミタノシミノ =それ以来、君も楽しみの
カクラシシ =神楽獅子となりました。
ヤヨロカシマニ =(真榊暦で)何万年もの間、「カシマ」(鹿島)地方に
アルカタチ =受け継がれている伝統芸能ですが、
サワリナカレト =人々の暮らしに障害がない様にとの祈りを込めて
モテアソフ =獅子を弄ぶのが特徴です。
サルタノカミノ =これは、「サルタノカミ」(禍を去って助けるカミ)の
ナニシアフ =名に因んでいて、有名な神楽です。」
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この箇所の前半は、後に「膳大伴部」(かしわでのおおともべ)となった「ムツカリ」の事で、後半は、「カシマカクラ」(鹿島神楽)の獅子舞を質問した「イワカ」の事になります。ですから、「いわか」と「むつかり」は別人で、(いわか・むつかり)「磐鹿六雁命」という『日本書紀』は、ヲシテ文献の読み間違いをしているのではないか?と思えます。
因みに、『定本・ホツマツタヱ』の三書比較で、どの様に間違っているのかを示してみたいと思います。
(『定本・ホツマツタヱ』による『ホツマツタヱ』と『日本書紀』の違い)
この様に、『日本書紀』も『ホツマツタヱ』の記述を漢字に置き換えたものでありますので、「ヲシテ」の解釈の際の誤謬(ごびゅう)や意図的な改竄(かいざん)などによって、話が違って来ています。この場合は、「いわか」という重要な御祭神の名が、「むつかり」という御祭神の名に一体となって紛れてしまった例の様です。
とにかく私としては、「いわか」の名が見つかってホッとしました!\(^-^)/また、「むつかり」を御祭神とする「高家神社」(たかべじんじゃ)についても、とても興味深く思いました。「高家神社」(たかべじんじゃ)は、”日本唯一料理の神”とされ、景行天皇に見出されて以来、ずっと皇室の膳部として祀られているのですから意味深いですよね!
夢に出て来た「ヤマトタケ」さんは、御自身のことを振り返り、「シツ」(下民)だと言っていました。そんな時に「ムツカリ」が、「シツカハム ナマスモヨシ」(下民の食べ方ですが、刺身でも美味しいですよ♪」と言って、景行天皇に勧めてくれました。「ヤマトタケ」の事を思って止まない景行天皇にとっては、その事にとても心が和んで、嬉しかったのでしょうね。優しい心の方が「カミ」として崇められる日本は、やはり素晴らしいと、私は思いました。
と言う事で、今日は「イワカ」という御祭神を「高家神社」に見つけたというお話でした。ではまた。