今日は「ヒメミヲノアヤ」(フタカミの1女と3男のお話)の後半です。フタカミの御子が4人なのに、出産の時の「トノ」が5つあるのは何故ですか?という「ツワモノヌシ」の質問に対して、フタカミの事を家族の様に良く知っている「カナサキ」さんが答えて下さいました。結局は「ヒヨルコ」が流産で産まれたという事でしたが、どうしても後継ぎを産まなければならない「フタカミ」にとって、お二人目の出産までが上手く行かなかった事が、より一層の国家統一の原動力になりました。国生みもして、「トツギノリ」も新しい方法へと変えて行かれて、遂に「ヒノミコ」(アマテルカミ)をお産みになりました。最後には鳥居の意味も示されています。
ミ3-11(11115)
サラニカエリテ =更に(オキツホに)帰ってから、
フタカミハ =「フタカミ」(イサナギ・イサナミ様)は、
アラタニメクリ =新たに柱の周りを巡って(儀式を行いました。)
ヲハヒタリ =男カミは左に居り、
メハミギメクリ =女カミは右に居て柱を巡り、
アイウタフ =出会って詠ったのは、
アメノアワウタ =「アメ」(天)の「アワウタ」でした。
アナニヱヤ =「アナニヱヤ
ウマシオトメニ =ウマシオトメニ
アイヌトキ =アイヌ」と男カミが詠えば、
メカミコタエテ =女カミは答えて、
ワナニヤシ =「ワナニヤシ
ウマシヲトコニ =ウマシヲトコニ
アヒキトソ =アヒキ」と続いて詠いました。
※ヲカミの15文字のアのウタと、メカミの15文字のワのウタを合わせて30文字になります。先に「5・4」のウタは、「コト」を結ばずと言われたので、月が満ちて地上に子となって産まれてくる様に、30日のウタが作られました。このウタは、ご自身の御子だけではなく、ヤマトの国中の子を増やすウタにもなっていますね!先ずは、まだ手の届いていなかった「シマ」にも教育を施して、国生みを進めて行かれました。
ヤワシテアワオ =(この後、フタカミは)人々を教えながら「アワウタ」を
ヱナトシテ =「ヱナ」(胞衣・産業を生み出す源)として
ヤマトアキツス =「ヤマト」を実り豊かな国とされました。
アハチシマ =先ずは、「アハチシマ」(淡路島)、
イヨアワフタナ =「イヨ」(伊予)と「アワ」(阿波)の「フタナ」(四国)
オキミツコ =「オキミツコ」(沖ノ島の三島)
ツクシキビノコ =「ツクシ」(九州)「キビノコ」(吉備の児島)
サトウシマ =「サト」(佐渡)「ウシマ」(大島)、
ウミテウミカワ =これらの国々を新たに生み出して、海や川、
ヤマノサチ =山の幸が豊かに採れるまでになりました。
キヲヤククノチ =つまり、「キヲヤ」(寄親)となったフタカミが苦労を重ねた後に
カヤノヒメ =茅の一芽が出て来て、
ノツチモナリテ =遂には「ノツチ」(野土・肥沃な土地)も出来てきました。
アワウタニ =(フタカミは)「アワウタ」を教えながら
ヲサムハラミノ =国々を治めていましたが、「ハラミノ
ミヤニイテ =ミヤ」(富士山麓の宮)に都を移して居られた時のことです。
ステニヤシマノ =既に「ヤシマ」(八洲)の
クニウミテ =国を産んでいますので、
イカンソキミオ =今度は、何としても「キミ」(世継ぎの君)を
ウマントテ =産もうと望まれました。そして、遂に
ヒノカミオウム =「ヒノカミ」(アマテルカミ)をお産みになったのです。
※後半で理解が困難だった箇所は、「キヲヤククノチ カヤノヒメ」という文章でした。『日本書紀』では、余りにも分からないので「ククノチ神」や「カヤノ姫」と人名になってしまっている程です。しかしここは、ヲシテの文脈で考えると人名と言うよりも、「フタカミ」がアマテルカミをお産みになるまでに重ねられたご苦労を言っているのだと思えます。つまり、「ヒルコヒメ」を手放した事、「ヒヨルコ」の流産の事、そして国生みの為に、人々を教導して食物生産を増やしたという事、それらの苦労の後に、一本の茅の芽が出て、豊かな土地になって来たという総括が述べられている様に思えます。
この文章を解く上で最初に疑問となる単語は、やはり「キヲヤ」だと思います。文章も「キオヤク・クノチ」(木を焼く・苦後)ではなくて「キヲヤ・ククノチ」ですので、「キヲヤ」とは、一つの単語の様です。文脈から考えますと、「フタカミ」が人々を親(みずか)ら指導されたのですから、(寄親・寄子)の関係が考えられます。私が思いましたのは、「寄親」(よりおや)の事を「キヲヤ」とヲシテ時代は言っていたのではないか?という事でした。つまり、「寄親・寄子」(よりおや・よりこ)ではなく、「キヲヤ・ヨリコ」と言っていた可能性もあると思ったのです。勝手な推測にも思いましたが、「寄口」(きこう)という言葉もありますので、今回は「キヲヤ」=(寄親)としました。
ソノミナオ =そのお名前を
ウホヒルギマタ =「ウホヒルギ」または、
アマテラス =「アマテラス
ヲオンカミトソ =・ヲオンカミ」と
タタエマス =讃えました。
クニウルハシク =(そのお名前が)国中を麗しく
テリトホル =照り通って行きますと、
クシヒルノコハ =「クシヒル」(数奇な救い主になる)御子は
トトメスト =(親元に)留めておくことは出来ないと、
アメニオクリテ =「アメ」(トヨケカミの元)に送って
アメノギト =「アメノギ」(政治・祭りの教義?)と
ミハシラノミチ =「ミハシラノミチ」(産業の教義?)を
タテマツル =お教えすることになりました。
カレニハラミオ =ですから、「ハラミ」(富士山)の事を
オオヒヤマ =「オオヒヤマ」(大日山)と呼ぶ様になりました。
タマギネカガエ =「タマギネ」(トヨケカミ)が考えて
ワカヒトノ =「ワカヒト」という
イミナオササク =本名を捧げました。
フタカミハ =「フタカミ」(イサナギ・イサナミ様)は
ツクシニユキテ =(次には)「ツクシ」(九州)に行幸をされまして、
ウムミコオ =そこでお産みになった御子を
ツキヨミノカミ =「ツキヨミノカミ」と名付けられ
ヒニツケト =「ヒ」(日・ワカヒト)に継げと、同じく
アメニアケマス =「アメ」(トヨケカミの元)へと留学に出されました。
コノサキニ =一方、(お二人の男児の産まれる)以前に、
ヲヱクマニスツ =「ヲヱ」(病気・災厄)「クマ」(心の悩み)に捨てた
ヒルコヒメ =「ヒルコヒメ」は、
イマイツクシニ =今、やっと全ての
タリイタル =厄除けの期間が過ぎて、親元に戻って来ました。
アメノイロトト =「アメ」(天皇)の「イロト」(妹)となり、
ワカヒルメ =(後には)「ワカヒルメ」(和歌の教師)となりました。
ソサニユキウム =(次に「フタカミ」が)「ソサ」(紀州)に行かれてお産みになった
ソサノヲハ =「ソサノヲ」は、
ツネニオタケヒ =常に大声を上げたり、
ナキイサチ =泣き叫んだりしました。
クニタミクシク =また、国タミの邪魔をするので
イサナミハ =「イサナミ」様は
ヨノクマナスモ =(ソサノヲが)世の「クマ」(迷惑事)を成すのも
ワガヲヱト =私の身から出た「ヲヱ」(病・災い)だと
タミノヲヱクマ =タミの「ヲヱ」(災い)や「クマ」(悩み)を
ミニウケテ =御自身の身に受けて、
マモランタメニ =(ソサノヲの悪行から)タミを守る為に
クマノミヤ =「クマノミヤ」(熊野大社)を建てられました。
カクミココロオ =この様に御心を
ツクシウム =尽くしてお産みになったのが、
ヒヒメミヲカミ =一姫と三男のカミで、
ウミテヨノ =お産みになってからは、世の中の
キミトミノミチ =君とトミの道を教えられました。
トノヲシエ =教えとは、「トノヲシエ」のことで、
サカリモトラハ =(その教えに)逆らって、反すれば
ホコロハス =「ホコロバス」(鉾で滅ぼす)という
コノフタハシラ =この二柱(トとホコ)のことでした。
ウムトノハ =また、ご出産になった殿はと言いますと、
アマノハラミト =「アマノハラミ」(富士山麓の宮)と
ツクハヤマ =「ツクハヤマ」(筑波の宮)
アハヂツキスミ =「アハヂ」(淡路の宮)、「ツキスミ」(九州の宮)
クマノコレナリ =「クマノ」(熊野の宮)の5つになると言う訳です。
ツワモノガ =「ツワモノヌシ」が
ハシラニクラフ =(トとホコを)柱に例える
ユエトエハ =理由を質問しました。
ヲキナコタエテ =「ヲキナ」(カナサキさん)が答えて言われるには、
タマハタテ =「タマ」(勾玉・トノヲシヱ)は「タテ」(縦糸)です。
ヌキハウルホス =「ヌキ」(横糸)は(織り込んで)機を完成させるものです。
ホコモマタ =「ホコ」(鉾)もまた、
ヨコマホロホス =「ヨコマ」(横魔・邪魔者)を滅ぼして国を完成させるので、
フタハシラ =(トとホコを)二柱として例えているのです。
ユキキトリヰノ =(その話を聞き)いつも行き来している鳥居が、実は
フタカミト =「フタカミ」の教えられた「トとホコ」の象徴であると、
キキテオノオノ =聞いて各々が、
ヲシテソメケリ =教えを手帳に書き留めるのでした。
以上の説明で、「フタカミ」の御子は1女と3男なのに、出産の「トノ」が5つ有るという理由は分かり、それだけではなくて鳥居の二柱が「ト」(憲法)と「ホコ」(権力)の象徴として建てられているという事も分かりました。また、鳥居は鶏が上に居て、タミの暮らし振りを鳴き声で知らせてくれる物だと言います。今の人々にも知らせて行きたい、大切な事だと思います。