ヲシテ・ひとり学会(縄文の旅)

『ホツマツタヱ』を中心とした「ヲシテ文献」の学習記録

『ミカサフミ』4アヤ「コヱソフノキサキタツアヤ」(前半)

 今回も少し遅れましたが、7月の京都「ヲシテ講習会」の内容について、書かせて頂きたいと思います。『ミカサフミ』の4アヤは「コヱソフキサキタツアヤ」、富士山南麓には「トノミコト」の「トシタミヤ」以来「コヱノミチ」(養蚕の道・養生の道)の教えが伝えられていました。そこに、アマテルカミの最初の宮が建てられて、アマテルカミも桑の根や「イチコ」を食べて長生きをされていました。話の始まりは、「サルタヒコ」「コヱ」の道を「ヒノテ」(日の出)の道という理由について質問したところからですが、「アマノコヤネ」さんがその「コヱ」の道に従って、アマテルカミに12人の后が定められたこと迄も教えてくださいました。アマテルカミのお話を通して健康長寿の道を、今一度改めて学び直したいものだと思います。では、始まります。

 

コヱソフノキサキタツアヤ

(「コヱ」を元にして、アマテルカミの12人の后が決まったお話)

4-1(11169)

ミカサハニ   =「ミカサハ」(三笠山の麓:春日大社)に

ヨルモモトミノ =百人のトミが集まり、

シメクニノ   =治める国の

マツリタタシテ =政(まつりごと)が糺されました。その会議の後に、

サルタヒコ   =「サルタヒコ」が、

コヱオヒノテノ =「コヱ」(養蚕・養生)を「ヒノテ」(日の出)と言う

ユエトエハ   =理由について、訊ねました。

 

コヤネコタエテ =そこで、「アマノコヤネ」さんが答えて、次の様に教えて下さいました。

コレムカシ   =「これは昔の事ですが、

スクナヒコヨリ =「スクナヒコナ」(ヤソキネの子の一人)から

ヲオナムチ   =聞いた事と言って「ヲオナムチ」が、

ワレニサツケリ =私に教えてくれた事があります。

カレムカシ   =ですから、その昔の

タカミムスビノ =「タカミムスビ」(5代目:トヨケカミ)の子の

ヤソキネト   =「ヤソキネ」(6代目・タカミムスヒ)と、

チヰモノコラニ =その千五百人の子供達への

ヲシエニハ   =教えでもあったと思います。

 

トシタアメミヤ =(トノミコトの)「トシタアメミヤ」(富士山南麓の宮)では

コヱノミチ   =「コヱ」(養蚕・養生)の道の教育がされており、

ミオマタクシテ =皆が身体の事を気遣って、

ナガラエリ   =長生きをしていました。

 

コカイモオナジ =「コカイ」(養蚕・蚕を飼う事)の道についても同じ事で、

クワノキハ   =そもそも、桑の木と言うものは

ヨモニサカエテ =四方に栄えて伸び、

ヱタモネモ   =枝も根も(先が)

ミツマタナリテ =三ツ俣になっていますので、

ソフホスエ   =(全部で、4X3=)12の穂末があります。

 

ミモムソヰカノ =365日

ヒノメクリ   =日の巡りで

ヒトセニナリテ =1年になりますが、

ハルアキト   =春夏秋冬と

ヨツニワカルゝ =(季節は)四つに分かれています。

クワノネモ   =桑の根も同様で、

ツキハソフタビ =月は(1年の間に)12回

ホシニアイ   =星に会い、

ナルソフツキハ =12ヶ月になっていますので、

ソフホスヱ   =12の穂末がある事になります。

 

ムカシアマカミ =ですから、昔アマテルカミはその

ネオハミテ   =(12の穂末のある、桑の)根を食べておられ、

ミノシシメクリ =(その成分が)身体中を巡って

サメマタク   =(頭が)全くスッキリとしておられました。

イチコオハミテ =また、「イチコ」(桑の実)を食べては、

ウルホエハ   =(身体が)潤っておられましたので、

ナガラヒヨヨニ =長生きをして子々孫々、代々に亘って

タノシミテ   =楽しみながら、過ごしておられました。

 

ツクレハカエス =寿命が尽きれば、体はお返しする事になります。

ミハヨモツ   =人の身はこの世のものですが、

ココロハアメニ =人の心は天に

カエウマレ   =還って行っても、また生まれて来ます。

ヰクタビヨヨニ =幾度も世に生まれてきては、

タノシメハ   =また、楽しむ事になりますので、

ヒトノウマレハ =人が生まれて来るのは、

ヒノデナリ   =日の出と同じ事なのです

マカルハイルヒ =(その反対に)死ぬのは日の入りです。

コヱノミチ   =ですから、「コヱ」(養蚕・養生)の道を

オボヱウマルハ =知れば、生まれて来る事を

ヒノデナリ   =日の出と言っているのです。

 

アメナカヌシノ =「アメナカヌシ」の時代は

モハカリヨ   =一千万年の寿命だったと言われていますが、

アメノメクリノ =これは、「アメノメクリ」(天球の円周)の

モヨトメヂ   =100万「トメヂ」の道程(みちのり)を行く時間です。

 

ウマレマカルモ =(しかしながら)人が生まれて死ぬのも

ヒトメクリ   =一巡りには変わりなく、

モゝヨロトシノ =100万年

コトブキモ   =寿命であっても、

ヒノヒメクリゾ =太陽の一巡り(1日)と同じ事なのです。

ヒトグサノ   =(ましてや)庶民の

ナラシフヨホモ =平均寿命の2万年であれば、

ヒメモスノ   =一日に例えれば、

モゝノフタキレ =その百分の2に過ぎません。

 

ナガミジカ   =(寿命の)長い短いを

イワズツラツラ =言う訳ではありませんが、長い歴史を通して

オモミレハ   =振り返ってみますと、

ミナカヌシヨリ =「ミナカヌシ」より

ヱノミヨニ   =「ヱノミコト」の御代になって、

マシヘリヒタビ =(寿命の)増し減りが1度ずつありました。

トノヨニモ   =「トノミコト」の御代になっても

コトフキカワリ =人々の寿命は、変わりました。

クニミコト   =そして、「クニミコト」(トヨクンヌの時代)には

ヨタビカワリテ =(寿命が)4度変わりましたが、

トコタチノ   =「初代クニトコタチ」から(2代クニサツチ、3代トヨクンヌまで)の

ミヨハカワラズ =三代の間は変わらずに、

モハカリヨ   =一千万年の寿命の世でした。

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(前半は、以上です)

 

 前半の話では、大きな歴史を通して人々の寿命が変わって来たことが述べられました。クニトコタチからの3世代は、「モハカリヨ」(1千万年)の寿命だったということですが、マサカキ暦で測られていますので、実際はどうなのか?と思います。しかし、アマテルカミが取っておられた健康法については、現代においても納得できる方法だったと思えます。

 桑の根を噛み、「いちこ」(桑の実)を食べておられましたね。桑の根に関しては苦いのかも知れませんが、桑の実は私も一度食べて、余りの美味しさにびっくりしました。健康の為には不味い物ばかり食べるでも無いようで安心しました。私も「コヱノミチ」を学んで、「ヒノテ」(日の出)の人生を歩んで行きたい気持ちになってきました。\(^-^)/・・・次回の後半のお話では、「コヱノミチ」に因んで、12人のお后さんも決まります。お楽しみに♪、ではまた。